私が理事を務めるマンションで、修繕積立金の値上げ議案が1票差で否決されたことがあります。
このとき理事会が総会に出したのは、単価を53円/㎡から252円/㎡へ、およそ4.8倍に引き上げる、たった1つの案でした。賛成か、反対か。区分所有者に残された選択肢は、それだけでした。
あの一択は、区分所有者が選べなかったのではありません。理事会が、比べる機会を渡さないまま出したのです。
この連載では、合意形成を8つの工程に分けて考えています。前回は「論点抽出」、値上げへの反対には6つの型があるという話でした。型を知れば、総会での受け答えは変わります。
でも、質疑にどう答えるかよりも手前に、もっと大きな分かれ目があります。今回は「案の比較」です。
議案の前に、何を比べてもらうか。
一つの案しかないと、賛成か反対かになる
提案が通らなかった時、理事会は「説明が足りなかった」と考えがちです。でも、否決の理由は説明の巧拙だけではありません。選択肢が1つしかないと、議論は「この案に乗るか、降りるか」という対立の構図になりやすいのです。
複数の案を並べて見せると、議論の質が変わります。「賛成か反対か」ではなく、「どれが一番いいか」という比較になる。反対の声も、単純な拒絶ではなく、「この案よりこっちがいい」という声として拾えるようになります。
並べる場所は、総会ではありません。総会に出す議案が1つでも、その前に比べてもらう過程があるかどうかで、議論はまるで違います。
修繕積立金には、2つの方式がある
修繕積立金の集め方には、大きく2つの方式があります。国土交通省の「マンションの修繕積立金に関するガイドライン」(2024年6月改定)が整理しているものです。どちらの方式にするかを決めるのは、多くの場合、新築時の分譲会社です。
- 均等積立方式。計画期間を通じて、ずっと同じ金額を積み立てる方式。将来の増額を組み込まないため、積立ては安定します。ただし、修繕の資金需要にかかわらず一定額を集め続けるため、常にまとまった資金を管理する状態が続きます
- 段階増額積立方式。当初の金額を抑え、段階的に引き上げていく方式。スタート時の負担は小さい一方、将来の引き上げについて区分所有者の合意が取れず、積立金が不足する事例があると、ガイドライン自身も指摘しています
ガイドラインは、将来にわたって安定した積立てを確保する観点からは、均等積立方式が望ましいとしています。それでも、購入時の月々の負担が軽く見えるため、分譲会社が段階増額積立方式を採用するケースもあります。
ここで理事会が悩むことになります。望ましい方式は示されている。では、それをそのまま議案にすればいいのか。
そうとも限りません。ガイドラインが主に想定しているのは、新築時にどう設定するかです。すでに築年数が経ち、段階増額で走ってきたマンションが、今から均等積立に切り替えるとなると、上げ幅は一段と大きくなります。望ましい方式であることと、総会で合意が取れる方式であることは、別の話です。
2つの方式には、それぞれ得るものと失うものがあります。段階増額は、今の負担は軽いものの、将来また合意形成が必要になる。均等積立は、今の負担は重いものの、その後の定期的な引き上げを前提としなくていい。どちらを取るかは、マンションの築年数や、区分所有者の年齢構成などによって変わります。
だからこそ、並べる意味があります。望ましいとされる案を出すだけなら、比較はいりません。区分所有者自身が比較したうえで判断した、という実感が要るのです。
ガイドラインには、段階増額の設定についても目安があります。基準になるのは、同じ工事費を均等に積み立てた場合の金額です。将来引き上げた後の金額はその1.1倍以内、スタート時点の金額はその6割以上。青天井の値上げにも、見せかけの低価格にもしないための考え方です。段階増額案を並べるなら、この範囲を意識しておく。目安から外れる案を出すなら、その理由を説明できるようにしておく必要があります。
案を見せる前に、現状を見せた
否決の後、私たちの理事会は検討会を開き、長期修繕計画を作り直すところから始めました。その素案をもとに、アンケートを実施しました。
アンケートで示したのは、今の長期修繕計画のままでは数年のうちに赤字に転落するという現実でした。①現状把握の話で書いた、いつ・いくら足りなくなるかという、あの数字です。続けて、新しい長期修繕計画の素案と、今後30年間に発生する支出の見通しを示しました。ここで、現状維持という選択肢はないことを明らかにしました。値上げをしない道は、もう残されていなかったのです。
そのうえで、均等積立と段階増額、両方のシミュレーション結果を示しました。理事会の立場も、隠さずに伝えました。均等積立を推すこと。計画期間を通じて資金繰りが安定すること、将来また値上げの合意形成をやり直さずに済むこと、居住者にも賃貸オーナーにも見通しの立てやすい負担になることが理由でした。
アンケートの結果を踏まえ、説明会で長期修繕計画と修繕積立金の改定内容を説明した上で、もう一度総会に付議することにしました。
並べれば公正になる、わけでもない
理事会が通したい案が決まっていると、比較表はその案が選ばれるように作れてしまいます。他の案の欠点だけを厚く書く。実現する気のない極端な案を混ぜて、本命を真ん中に見せる。並べ方ひとつで、結論は比較の前に決まります。
区分所有者は、それに気付きます。気付かれた時の反発は、一択で出したときより強い。選ばせるふりをされた、という受け取られ方をするからです。
私たちの理事会も、実際に均等積立を推していました。だからこそ気をつけたのは、均等積立と段階増額、どちらについても同じ分量で、良い点と悪い点の両方を説明することでした。推している案を隠すのではなく、推している理由まで開示する。それが、誘導との分かれ目です。
比べてもらうための、最低限
ここで言うのは総会の議案ではなく、その前のアンケートや説明会で渡す資料のことです。厚くする必要はありません。案ごとに揃えるのは4つで足ります。
月々いくらになるか。いつから上がるか。30年後に残高はどうなるか。その案を選んだ場合、次にまた合意形成が要るのか。
この4つを、案の数だけ同じ形式で並べる。それだけで、比べてもらう形になります。
比較と、決めることは別
複数の案を並べて見せることと、複数の案を総会にかけることは、同じではありません。目的は複数案を出すことではなく、比べてから決めることにあります。
私たちの理事会が総会に付議するのは、均等積立案1つだけです。段階増額案は、アンケートと説明会の中で確かに比較しましたが、議案としては出しません。
比較は、決を採る前の道具です。決を採る段になれば、理事会は自分たちが推す案を1つ選び、その理由とともに提案します。
アンケートでは、均等積立が優勢ではあったものの、段階増額を望む声も多く聞かれました。それでも理事会は、段階増額にしたときの赤字のリスクと、将来また合意形成をやり直すリスクを取ることは避けたいと考え、均等積立案1つに絞りました。
あの否決のとき、私たちは比べる過程を経ずに、いきなり1案を総会に持ち込みました。並べるという発想が、そもそもなかったのです。
SOLCUBE Cloudで、複数案を並べる
長期修繕計画シミュレーター「SOLCUBE Cloud」では、値上げ幅や引き上げの時期を変えた複数のパターンを、それぞれプロジェクトとして保存できます。値上げをしなかった場合、均等積立にした場合、段階増額にした場合。同じ画面で切り替えながら見比べることができます。
私たちがアンケートで最初に見せた「このままでは数年で赤字になる」も、比較材料の一つです。値上げしない道がないことを示すには、その試算が要ります。
複数案を作るところまでは、ツールが支えられます。でも、その中からどれを選ぶか、区分所有者にどう説明するかは、今のところ人の仕事です。
前回の記事をまだ読んでいない方は、あわせてどうぞ。値上げへの反対を、事前に読む話を書いています。
あなたのマンションの理事会は、総会の前に、比べる機会を渡していますか。
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