「本議案は可決されました。」
私が暮らすマンションの管理組合の総会で、長期修繕計画と修繕積立金の改定がいずれも可決されました。初めて理事会で提案してから3年。ようやく財政健全化の道筋が見え、少しだけ肩の荷が下りました。
修繕積立金の改定額は平米単価430円。国土交通省のガイドラインが示す同規模マンションの目安の幅(170〜320円)の上限をも超える水準で、負担は重いものです。それでも、議決権比率で8割を超える賛成を得ました。
ガイドラインの5分の1、平米単価53円
私が理事に就任したのは4年前。しばらくして、長期修繕計画を見る機会がありました。気付いたのは、次の大規模修繕を終えた時点で修繕積立金が赤字に転落し、その後は二度と黒字に戻らないということです。
もともと、このマンションの修繕積立金の平米単価は53円。国交省ガイドラインが示す同規模マンションの平均値252円と比べると、約5分の1の水準です。破格の安さの裏で、財政の破綻がもう目の前に迫っていました。
「修繕積立金が足りない」とはどういう状態なのかは、数字で現状を共有する話で整理しています。
投資家が多いマンションで値上げを切り出す
駅近のワンルーム比率が高いマンションということもあり、区分所有者には投資家も多くいます。実際、理事会の役員の中で、このマンションで暮らしているのは私だけです。
そのため、当初理事会で修繕積立金の値上げを提案したときは反対一色でした。修繕積立金が上がれば、賃貸経営の利回りは下がります。投資目的で所有する区分所有者にとっては、当然気になる問題です。値上げなら売却も辞さない、という声まで出ました。
それでも、このままでは漏水の修理すらできなくなる懸念があること、修繕が行き届かなければ賃貸にも売却にも響くこと、資産価値の維持こそが投資家にとっても安定した収益の源泉になることを説明し、徐々に「修繕積立金の改定やむなし」の空気が醸成されていきました。
加えて、新型コロナやロシアによるウクライナ侵攻などの影響でインフレとなり、資材や工事費が上昇しました。周辺のマンションでも管理費や修繕積立金の値上げをする事例が出てきたことも後押しとなりました。
1票差の否決
赤字転落のXデーまでに、残された時間は多くありません。
本来であれば、長期修繕計画の見直しを進め、今後30年間にかかる工事費用全体から逆算して修繕積立金を決めるのが筋です。ただ、計画づくりには時間がかかります。長期修繕計画の改定にかかる時間は約1年。建築士探し ⇒ 見積もり比較 ⇒ 総会で検討開始を決議 ⇒ 案の検討 ⇒ 再議論…といった、気の遠くなる作業が待っています。
取り急ぎ最低限の手当てが必要と考え、2025年5月の臨時総会で付議したのは、暫定的に252円/㎡まで上げる案でした。しかし、これは1票差で否決されました。
- 「5倍は急すぎる」
- 「段階的にできないのか」
- 「数字の根拠を示せ」
- 「理事会の説明が足りない」
- 「今まで何をしていたのか」
反対の理由や批判は、どれももっともで、当然の反応です。理事会にとっては2年かけて話し合ってきた問題でも、区分所有者にとっては、その総会で初めて聞かされる話でした。「うちの管理組合がそんな状態だったなんて知らなかった」。あまりに突然で驚いたことも、この否決につながったのだと思います。
値上げへの反対の声には、いくつかの型があります。値上げへの「反対」は6種類あるで整理しています。当時の総会の様子は、noteに書きました。
重要なのは合意形成の過程。それを思い知ったのがこの時でした。
膝詰めの検討会と、160円/㎡という暫定策
2か月後の2025年7月、区分所有者を集めて検討会を開き、膝詰めで議論しました。その結果、「段階的な値上げなら理解できる」「まずは直近の危機を回避する額に設定し、長期修繕計画ができあがった時点で改めて見直す」という方針を共有するに至りました。
暫定の値上げと並行して、本来の手順も進めました。値上げが否決された5月の総会でも、長期修繕計画の見直しに着手する議案は可決されていました。これを受けて、建築士事務所に長期修繕計画案の作成を依頼しました。
2025年11月、臨時総会を開催。ここで暫定的に160円/㎡への改定を決議しました(2026年4月から適用)。従来の約3倍なので抵抗はやはりありましたが、5倍になることに比べれば許容できるということだったのでしょう。
160円/㎡では全く足りないことを知っている立場からすると、まだ心許ない数字です。それでも、一歩前進ではありました。このときの経緯もnoteに書いています。
「もしこうしたら」を試せる道具がなかった
依頼していた建築士事務所から長期修繕計画の素案が出てきたのは、この少し前です。ただし、複数の試算やちょっとした更新を依頼しても、戻ってくるのに1〜2か月かかります。
「大規模修繕工事の時期を遅らせたら?」「修繕積立金を値上げしたら?」といった条件ごとのグラフを並べて比べたいのに、その比較が容易にできない。今すぐ判断したいのに、その材料が出てこない。
私が欲しかったのは、自分たちで「もしこうしたらどうなる?」を試せる道具でした。そこで、AIと相談しながら長期修繕計画シミュレーターを作りました。今のSOLCUBE Cloudの原型です。
一括か、段階か
その試算をもとに建築士事務所とやり取りをして、長期修繕計画が完成しました。160円/㎡は、計画が完成するまでの暫定策です。ここからは、必要な工事費から逆算した本来の水準を決める段階に入りました。
2026年4月、アンケートを実施しました。内容は、次の2つの案を示して比較し、意見を募るものです。
- A案:均等積立方式で430円/㎡に一括改定する方式
- B案:最終的に500円/㎡を目指す段階増額積立方式
まず伝えたのは、今後30年で必要な金額からすると、現行160円/㎡の維持は事実上不可能であることです。160円/㎡のままでは、今後30年のうち24年間が赤字となり、計画期間の終わりには数億円が不足します。赤字転落は、すぐ目の前でした。
つまり、検討の論点は「値上げをするかどうか」ではなく、「どのような形で値上げを行うか」にあります。430円/㎡は相場との比較ではなく、このマンションの今後30年間の工事計画と資金需要から逆算した数字です。
均等積立と段階増額の内容、メリットとデメリット、赤字期間、30年後の積立残高、1戸あたりの月額負担の目安といった比較表、30年間の試算グラフを添えつつ、A案を推奨するという理事会の見解も示しました。推奨の根拠は次の3点です。
- 計画期間を通じて赤字が出ないこと
- 段階改定のたびに総会で合意を得る必要がないこと
- 将来の負担が見通せること
複数の案をどう並べて見せるかは、「賛成か反対か」にしたのは、理事会だったで詳しく書いています。
アンケートでは、A案の支持が5割、B案が4割、残り1割は判断保留でした。均等積立方式が一定の理解を得ていることが分かりました。A案への主な賛成意見は次のとおりです。
- 「将来的に不足する事が解っている以上ある程度の値上げは仕方がない」
- 「金額が上がる度に合意が必要なのは手間と時間も大変な労力。最初から均等な金額の方が安心できる」
- 「現在の居住環境を維持したい」
- 「資産価値を落としたくない」
- 「安定した財源の確保が大事」
B案への賛成意見は、「賃料を上げるのは難しいので段階的にしたい」「これまでとの差が大きすぎる」といった声でした。判断保留の方からは、「説明を聞いて判断します」「周りの住人の方々の意見を聴いてから回答したい」といった声が寄せられました。
アンケート時点では5割の支持、総会では8割の賛成
2026年7月、アンケート結果を踏まえて、長期修繕計画改定と修繕積立金改定に関する説明会を開催しました。9月の総会に付議する前に、区分所有者への説明と実質的な議論をするのが目的です。長期修繕計画の内容を建築士に説明してもらいつつ、理事会からはこれまでの経緯、現状認識と取り組み、修繕積立金の改定方式の比較、そして均等積立方式430円/㎡で改定を行う旨を説明しました。
資料では、430円/㎡という数字の中身を分解して示しました。サッシや排水管・給水管の更新、大規模修繕、エレベーターのリニューアルといった工事で今後30年に出ていくお金から、補助金や管理費会計からの繰入、借入でまかなえる分を差し引き、残りを30年と専有面積でならすと、おおむね430円/㎡になります。これより低ければ、計画の途中で赤字に陥ります。現時点の計画で、一度も赤字を出さない最小の均等額です。
理事会に都合のよい数字だけを並べることもしませんでした。30年間の累計負担では、実はB案のほうがわずかに少なくなります。それも比較表に載せたうえで、赤字を出さない確実性を優先してA案を推すのだと伝えました。部屋のタイプごとに月額がいくら上がるかの早見表も付けました。
アンケートの自由記述は、反対意見も含めて原則そのまま一覧にして配布しました。説明会で出た質問と回答は報告書にまとめ、参加できなかった区分所有者にも届けました。
1年前に1票差で否決されたとき、突きつけられたのは「数字の根拠を示せ」「理事会の説明が足りない」という声でした。今回は、その両方に正面から応えようとしました。詳細かつ丁寧な説明によって納得感が醸成されたことが、5割から8割への変化につながったのだと思います。
そして2026年9月、ついに長期修繕計画の改定と修繕積立金の改定が承認されました。アンケート時点では5割だった支持が、総会では賛成の議決権比率で8割を超えました。
2027年1月から430円/㎡が施行されます。2026年3月まで53円/㎡だった修繕積立金は、1年足らずで8倍超になります。今までが安すぎたとはいえ、区分所有者にとって大きな負担であることには違いありません。それでも、理事会が作成した膨大な資料を読み込み、考え、判断をしてくれた区分所有者の皆さまに感謝しています。
正論だけではマンションは救えない
一連の対応で、理事会の一員として身に染みたのは、「正論だけではマンションは救えない」ということです。数字の上では値上げが必要でも、それだけでは決まりません。区分所有者一人ひとりの納得感がなければ、合意形成を図ることはできません。
根拠や合理性は当然の前提です。そのうえで、いきなり総会で決議するのではなく、事前の検討会やアンケート、説明会といった段階を踏んでいく。その丁寧な手続きが、安心や信頼感に繋がります。
なぜその数字なのか。
別の選択肢なら何が起きるのか。
自分たちの負担はどう変わるのか。
それらを一つずつ見えるようにして、考える時間を渡す。答えを示すだけでなく、自分たちで考え、答えを選べる状態を作る。それがマンションにおける合意形成です。
合意形成を8つの工程に分けて考えた全体像は、修繕積立金の値上げは、総会「当日」には決まらないにまとめています。
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